「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」 公開に合わせて:前作「ジョーカー」のショート感想
皆さん、こんにちは。アヤノテツヒロです。今回は 映画 「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」 の公開に合わせて前作「ジョーカー」のショート感想 です。
監督:トッド・フィリップス
キャスト:ホアキン・フェニックス、ロバート・デ・ニーロ 他
衝撃的で狂気に満ち溢れながらもどこか切なさを覚えた
自身の過去、貧困、暴力、無関心…様々な重圧を、理不尽をその笑顔に巻いて抑えてきた一人の見向きもされなかった男が、一つのきっかけから次第にその隠された狂気を纏い、"ジョーカー"へ変貌する物語をじっとりと描いた作品。
同時に"存在を認めてほしかった"彼がこのような狂気に溢れた形で存在を認められしまうという切なさもどこか漂うそんな話に思えた。怒りや悲しみ、アーサーの蠢く様々な感情を笑いに込めて演じるホアキンフェニックスの演技力が素晴らしい。あの笑い声はなかなか頭から離れそうにない。
DCコミックものとしては、ゴッサムやウェイン家とのリンクなども見逃せない作り。ジョーカーに対するイメージや物語の特性からの考察、受け取り方が様々で観る者によって変わるのも魅力的で他の人の考察も参考にしつつ改めて見ると新たな発見がありそうだ。
事前にキングオブコメディを見ていたが、物語の構成やキャラクターなど確かにその要素が多く取り入れられているなと感じた。個人的にはジョーカーの方が心に突き刺さるものがあった。
母と共に暮らすアーサーはコメディアンを夢見つつ、ピエロとして働いていたが、理不尽な暴力と社会の現実問題が、彼を次第に"ジョーカー"へと変貌させていく…
オープニング、静かにピエロメイクをするアーサー。笑顔を作るアーサー、それだけで何故か不穏さを感じてしまう。そこから始まる理不尽な暴力、病気の母、笑ってしまう病気と薬、アーサーの話を聞いてないカウンセリング…彼を巡る様々な要素が少しずつ少しずつ彼を狂気へ走らせる要素として積もっていく…
仕事をクビになり、ピエロ姿での帰り道。彼は地下鉄内で再び理不尽な暴力に苛まれ、拳銃で人を殺してしまう。その事が彼の運命を狂わせる…3人の富裕層とも言うべき人間が殺されたことを貧困層の人間はヒーローと呼び、抗議デモの象徴と崇める…その認められたという感覚はアーサーがずっと追い求めていたものだろう。自分はここに居て良いのだと承認されたことのように…
狂気のピエロ姿の自分を認める人々、信じていたモノの崩壊…妄想と狂気の果てに彼は全て喜劇なのだと言いながら、内に秘めていた怒りと悲しみ、暴力と狂気をその笑顔と共に爆発させていく…
彼の辿る行く末を否定なんてことは出来ない。彼の虐げられてきた過去は悲しく切ない。そこから生まれた狂気のピエロの存在を…
なかなか言葉にするのが難しいがこんな感想になった。今からパンフレットや秘宝を読んだり、他の人のレビューを見たりしてこの作品にもっと浸りたいと思う。
どこまでが妄想なのか、全てはジョーカーのウソと妄想なのではないか…そこまでには至っていなかったなと。あくまでも一つの世界のジョーカーというヴィランの悲劇的な誕生の物語として捉えていたので…監督のコメントにも「映画が終わっても全ての答えが得られるわけではない」とあるし…確かにジョーカーは得体の知れない存在だし、ラストの病院で捕まっている彼のウソ話だったのかもしれない…色んなことが曖昧に描かれていることは、ジョーカーらしくもあり、善悪そして全てが曖昧なこの世界を表しているのかもな…と思うとまた見たくなる作品だ。
というのを昔書いていたので、とりあえずブログに起こしてみました。
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