映画「キャンディマン」 ネタバレあり感想:恐怖を生み出す存在について
皆さん、こんにちは。今回このブログで取り上げるのは 映画「キャンディマン」 です。
映画「キャンディマン」 概要
監督:ニア·ダコスタ
キャスト:ヤヒヤ・アブドゥル=マティーン2世、テヨナ·パリス、ヴァネッサ·ウィリアムズ他
あらすじ:アーティストを目指す若者アンソニーは次の作品の題材として都市伝説として語り継がれる「キャンディマン」に注目し調査を開始する。その調査は恐怖の扉を開けるきっかけとなり…
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映画「キャンディマン」 過去作との繋がり
「キャンディマン」には原作があり、それを最初に映画化したのが1992年の同名作品になります。
今作は「キャンディマン」のリメイクでもありつつ、続編となっています。
作品のコンセプトとしては、「キャンディマンを調べていくうちに、その魔力と恐怖に翻弄されていく」というコンセプトは同じと言えると思います。主人公の立場や年齢、調べた動機などは勿論違いますが、辿っていく道筋は近いものがありますね。
劇中で紹介される「キャンディマン」について調べていたヘレンという女性は1992年版の主人公であり、彼女の辿ったいきさつが間違った形で伝承されていることが前半に判明します。
勿論、場所も”カブリーニ・グリーン”という場所で繋がっています。
このほかにも後半になるとさらなる繋がりが判明していくのですが、それについては後程…
ということもあり、前作を見るとより楽しめる作品となっていますし、見ていなくても「そう繋がっていくのか!」となるので本作を見た後に前作を見返すのもアリだと思います。
映画「キャンディマン」 不気味な演出とホラー映画としての魅力
まずはいわゆるジャンル映画、ホラー映画としてこの作品にフォーカスしていきましょう。
主人公アンソニーがキャンディマンを調べていく内に、その魅力に捕らわれていく様、その恐怖と沼にハマっていくサイコな怖さが印象的でした。
彼は右手を蜂に刺され、その右手が次第に悪化していくのですが、その悪化具合が一番グロテスクかもしれません。
アンソニーを演じたヤヒヤ・アブドゥル=マティーン2世の初めの好青年ぶりから深い闇に捕らわれていく様がお見事で、ゾクゾクと気持ち悪かったです。
アンソニーがキャンディマンを調べていく内に出会うウィリアム、彼はキャンディマンの伝説を知る男であり、アンソニーを闇へと導く要因の一人である。
そして、アンソニーは鏡の前で5回キャンディマンと唱えてしまい…そこからキャンディマンが徐々に姿を表します。
アンソニーはキャンディマンをモチーフにした作品を発表、つまりキャンディマンの伝説を復活させてしまったということになります。
そこから5回唱えた者達は次々とキャンディマンの餌食になっていきます。
キャンディマンは鏡の向こう側に現れ、右手の鉤爪で血の雨を降らします。
と、言ってもスプラッター描写は控えめ、特にキャンディマンの惨殺シーンは控えめなんですが、見えない恐怖という部分では正解かなとも思います。
鏡、夜のガラス、コンパクトミラーに映るなどそこに居て見えるはずなのに見えない恐怖、僅かに見えてしまうことに恐怖を感じますね。
また、アンソニーが次第に自身がキャンディマンになっていく幻覚を見ていくのもドキッとしました。
ここから本格的なネタバレへと移行するので未見の方は注意してください。
実はアンソニーは赤ん坊の頃、キャンディマンに誘拐されており、それを救ったのが前作の主人公ヘレンという繋がりを知ってしまいます。
劇場で本作を見る直前に前作を見たので、ずっとニヤニヤしながら見てたのですが、やはり大当たりでしたね。
前作の劇中で赤ん坊のアンソニーに何かを飲ませてるような描写があったので、この時点でアンソニーはキャンディマンが甦るための依り代として目をつけられていたのでは??という疑惑もあります。
また、ウィリアムもまたキャンディマンという伝説に半ば取りつかれている男であり、アンソニーをキャンディマンとしてこの世に降臨させようとしていたことが分かり、アンソニーの彼女はピンチに陥る…
ここでアンソニーの腕を切って、鉤爪を付ける描写は痛々しくて、むず痒くなりました!
映画「キャンディマン」 黒人差別に対する強きメッセージ
終盤でウィリアムが語るキャンディマンという存在について、これがこの映画の強いメッセージの一つですね。
歴史の中で虐げられてきた黒人差別の数々…そこから生まれたのがキャンディマンという存在であり、現代でもその歴史が有る限りキャンディマンという存在は残り続けるのだと
劇中、キャンディマンの犠牲になるのは白人ばかりなのもそのメッセージだし、エンドロールでは影絵で黒人差別により犠牲となってしまった者達の恨みがキャンディマンを生み出していく過程を描いてましたね。
またこの影絵というのも印象的で、前作のヒロインであるヘレンの間違った逸話も影絵で表現されていました。
これは影絵=表にはならない影·闇に葬られてしまった話という表現であり、ヘレンの誤ったエピソードもまた影に葬られているということをしめしているのかなと。
またウィリアムがアンソニーをキャンディマンとして仕立て上げた上で警察に通報、争うアンソニーとウィリアムに対し、警察は警告もせずにアンソニーを射殺するという過程も影で見せており、これもまた影という描写で伝えたいことなのかなと感じました。
また、警官が射殺するというこのシークエンスは実際のBLMが叫ばれるようになった数々の事件を彷彿とさせるようでしたね。
黒人差別に関する描写が濃厚で、さすがジョーダン・ピールという感じでした。
その部分を全面に押し出した分とホラー描写の少なさで、説教臭く感じる人もいるかもしれない(エンドロール最後の一文がよりそうさせる)が、ここまでどストレートに描いても、キャンディマンという黒人差別が生み出した負の歴史と感情が恐怖の存在でも、黒人差別の根深さ、無くならなさがあるということだろうと思いました。
少なくともワタシ個人としてはこの映画をきっかけにそういった事件について少し調べたりしたので、こういうジャンル映画に込められたメッセージ、感じていきたいと思いました。
では、今回はこの辺で!
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