「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」 ネタバレあり感想:酷評とはいわないが

皆さん、こんにちは。アヤノテツヒロです。今回は 映画 「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」 のネタバレあり感想 です。

監督:トッド・フィリップス

キャスト:ホアキン・フェニックス、レディーガガ 他

公式サイトはこちら

「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」 ネタバレあり感想①:酷評なのも分かるのでその理由について

酷評という評判もあるというので気になり鑑賞しました。
確かに否定したい側の主張も分かるような気がする。

ネタバレあり感想と書いてあるので、ここでは結末に触れつつ悪い評価に繋がっている理由を書いてみようかなと。

①前作で生まれたジョーカーという偶像の破壊

前作で生まれたアーサー=ジョーカー(ホアキン・フェニックス)という存在を夢幻、虚像、偶像として熱狂する人々=我々をその夢からバチっとビンタして目覚めさせるような映画であり、自らが生み出した虚像に殺される、やはり弱くて儚い存在でしたか無かったのだとアーサーの悲劇を描くという物語になっており、ジョーカーという存在が生まれた瞬間に立ちあったはずなのに、今作ではそれを真っ向から分解したと言えるかも知れないなと。

前作「ジョーカー」で障害を持ち、社会的にも虐げられ、コケにされ、自分が信じていた母親との繋がりもウソで、どんどんと闇を溜め込んでいったアーサーという本来は心優しき男が、衝動的に爆発させた暴力で世間からも認められ、抗議デモの象徴と崇める…その認められたという感覚に堕ちていく様を描いており、我々の社会に蔓延する貧困や暴力という身近な背景から「ジョーカー」という狂気の存在が生まれるのではないだろうかという恐怖と興奮を世間に巻き起こすような作品だった。

そこから改めてアーサーという1人の男に再度フォーカスするということで、「ジョーカー」という偶像象徴に世間が熱狂し、リーという女性からも惹かれ、世間から求められる「ジョーカー」という偶像に、アーサーが時に舞いつつも、結局は「ジョーカー」ではなくアーサーでしかなかったという結末に期待を外されてしまったと思う人はいたのではないだろうか?

悪のカリスマ「ジョーカー」の誕生を描き、期待された本作。ここからより「ジョーカー」の狂気の様を期待した人々=劇中の民衆であり、彼らがアーサーに失望したように、この映画を観た人々もそっぽ向いたのかなと。

②法廷劇であるがゆえに

前作「ジョーカー」ではアーサーが直面する社会的弱者としての立ち位置、貧困や障害、生きづらい世界での生活など、身近に大なり小なり感じるモノがあったのではないかと思う。だからこそアーサーに共感し、彼が衝動的に「ジョーカー」となってしまった悲劇や苦悩を決して否定できないのでは?と思わせたのが人々を魅了したのだろうが、今回は留置所と裁判所を往復する基本的には法廷劇の映画となっており、アーサーが置かれている状況に共感もしないし、身近にも感じない。

アーサーがリー(レディーガガ)に惹かれ、「恋は盲目」という事になっていることには共感できるが、リーはアーサーではなく「ジョーカー」しか見ていないのは観客にも明らかなので、「アーサー!目を覚ませ!」と応援はしてましたけどね。

舞台上、背景上の動きが少なく、彼の置かれている立場に心動かないのも評判に影響しているのかもと思いました。

③どうしてもノイズになりがちなミュージカル


間に挟まれるミュージカルシーンはアーサーとリーがジョーカーという狂った世界に身を投じていること、彼らだけの世界にいるということの表れなのだろうが、合間に合間に挟まれ過ぎて映画としての展開をズバッと切られるので見ているのがツラい場面もあったとは思う。

前作での妄想シーンをさらに発展させ、さらに「運命の相手に会えた喜び」を壮大なミュージカルにすることで表現し、さらに地味になりがちな画面をド派手にするという意味もあるのかもしれないが、やはり物語の流れを切ってしまう印象が強すぎて、そこに拒否反応を示す人が多かったのも理由かもしれないなと。

「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」 ネタバレあり感想②:真っ当な続編であるということ

酷評で話題の本作だが、続編としては真っ当な作品であり、個人的には傑作ではないけど普通に鑑賞しました。

そもそも「ジョーカー」となったアーサーではあるが、元々は普通の男であり、悪のカリスマになったわけではないので、その後の彼の行方を考えるとこうなるのは必然でもあるし、「ジョーカー」となってしまった彼を一人の男、アーサーに戻す映画だったのかなと思えば少なくとも酷評とはならないのかなと。

前作でどうなったのか不明だった隣人やアーサーが見逃したゲイリーも出たりするなど、前作からのキャストも出てきたのは嬉しかったし、前作と地続きでアーサーという男の辿った、悲劇的でありながらもドラマティックかつ切ない物語を見せてくれたのかなと思いました。

ただ、別に作らなくても良かったのでは?とも思う作品で、前作で終わっておいた方が良かった作品ではありますね。


また、最後にアーサーが迎えた結末はあまりにも無惨で、彼を刺した囚人が口を割いているように見えるあたり、決してジョーカーは消えていない=誰もがジョーカーになり得るのだというある意味では前作と同じことをラストに持ってくるあたりが恐ろしいとも言えるのではないだろうかと思いました。


あと、リーに殺されるのかも?と思っていたが、誰でもない知らない囚人に殺されてしまうのも…切なく悲しいと言えますね。

また、DCコミックの作品で考えると、リー=ハーレイクインとなり、新たなジョーカーとしてゴッサムに混乱を生むかもしれないし、若きハービーは裁判所の爆発により、顔を負傷し、正義が揺らいだ結果トゥーフェイスというヴィランになる運命が待っていると考えられるので、これもまた「ジョーカー」という悪の偶像・概念がゴッサムを侵食していくというのも一興ですね。

アーサーという1人の男が辿る顛末を改めて見せると共に、「ジョーカー」という彼の生み出した偶像・概念が1人歩きをして、誰も倒せないヴィランとして社会に影響を与え続けるのかもしれないという顛末はまさに悪いジョークかもしれませんね。

今回はここまでで