「マイ・ブロークン・マリコ」 ネタバレ感想と原作との違い

皆さん、こんにちは。アヤノテツヒロと申します。今回このブログで取り上げるのは映画 「マイ・ブロークン・マリコ」 です。

監督:タナダユキ

キャスト:永野芽都、奈緒、窪田正孝 他

※このブログはマイ・ブロークン・マリコの原作マンガまたは映画を観た人向けに書いています。特に今回は感想が難しかったので、感想はザックリであとは一つ一つ原作とマンガの違いを見ていくブログになるので、ネタバレありというか、どっちかは見てるよね?前提で書いていきます。

「マイ・ブロークン・マリコ」 端的な感想

ちゃんと言葉にするのは難しいけど、なんか良いもの見たなって気がする映画でした。


永野芽郁さん演じるシイノトモヨのどこかやさぐれているような佇まいとか悲しみと怒りとやるせなさを抱えた感じの雰囲気、奈緒さん演じるマリコの儚げで壊れてしまいそうな雰囲気、窪田正孝さん演じるマキオの飄々としていながらもどこか芯がある雰囲気ともう色んな雰囲気が最高に表れていたのが印象的。


亡き親友を弔うロードムービーであり、親友の遺骨と共に旅する中で、回想シーンと記憶の中の彼女との対話、そして旅の途中で出会う人々…その中でシイノは…


短いながらもしっかりと登場人物たちが生きていて見ていてグッときた。
マキオが別れ際に言った言葉がめっちゃ良かったし、その果てに届いた親友が残した手紙、生きていくことを選んだからこそ出会えた手紙に遺されていたもの、あえて描かなかったのも含めて暖かいラストだった。

と、映画見た直後にそういった感想を書いて終わっていたのですが、原作マンガも読んでみようと思ったわけです。

感想としては映画が原作に誠実に作っていたし、同じような寄り添うようであり、彼女たちの中で完結しているようでありながらも、見ているこちら側にそっと力をくれるような作品であることは間違いないのでそこはとっても良かったです。

マンガを読んでいると映画では足された描写やオリジナルの展開があるのでせっかくなので、マンガとパンプレットに載っている台本を比較しながらどの要素が加わったのか見て見ようというのがこのブログの本番です。

「マイ・ブロークン・マリコ」 原作と映画の違い

というわけでここからは原作と映画の違いを淡々と見ていきます。

・不動産屋さんのシーン

冒頭、マリコの死をテレビのニュースで知ったシイノ。マンガでは先週会ったことになってましたが、この辺はLINEの画面で僅かに示されてました。その後の回想シーンで二人が不動産屋の前で話すシーンが増えておりました。恐らく二人の関係性をより分かりやすく見せてくれるシーンなのかなと思います。

・マリコのマンションに訪れるシーンと管理人との会話

翌日、とりあえず出勤したシイノが上司からの小言を無視して訪れるマリコのマンションに訪れるシーンも原作には無かったシーンですね。直葬というマリコの遺体がもう遺骨となっている状況を説明するシーンでもあり、シイノにとっては重要なマリコの死が、他人にとってはどうでもいいことであることが強調されるシーンでもあるのかもしれません。

・マリコの実家を訪れてからの回想

マリコの遺骨を強奪しに行くシイノの回想の順番もちょっと違うようです。マンガでは「実家に向かう→花火の回想→実家でのキョウコとの会話→マリコがシイノにママが帰ってこないかもと話すシーン」となっていますが、映画では回想は全て遺骨強奪後に纏められています。

・中学時代、マリコがシイノの目の前で手紙を書いているシーン

こちらも原作にはないシーンでした。また、そこから海に行きたい話をするのですが、この回想も順番は変更されており、原作では「ドクターマーチンの準備→回想→外での手紙読み」なのですが、映画は回想後に外出準備となっています。

・岬に向かう深夜バスの座席

原作ではいかついおじさんがいましたが、映画はシイノ一人でした。彼女によりフォーカスするためですし、まあいなくても困らん(笑)また、深夜バスの感想とシイノが見ていた夢の内容も省略です。

・高校時代の映画に行く話をするシイノとマリコ

シイノがマリコを誘って映画に行こうとする展開は原作に無い展開でした。マリコとシイノの関係性をより強調するのと、マリコが男性に時に依存していること、シイノに彼氏を作らないようにしつつ、自分は彼氏が出来たら二の次にするような振り回す存在であることを強調したのだと思われます。

・バスの中で会う女子高生

原作では最後の方にモブキャラとして出てくる女子高生とバスの中でシイノが出会っています。マリコと彼女の雰囲気が似ていたりする展開や女子高生からお礼の手紙を受け取るなどシイノがマリコに重ね合わせる要素が増えており、シイノのマリコへの想いを強調する存在ということでしょうか?

・マキオとの出会いからの居酒屋でのシーン:想像上のマリコのセリフの省略、シイノの「マリコとの交信」というセリフの省略

・居酒屋から去りゆくシイノと心配したおじさんのセリフが省略:原作だとこの辺に痴漢出るから危ないよとのセリフから怪しいマキオの姿なのでミスリード的な要素でしたが、この辺は省略しても良いと思いますね。

・シイノの夢:昭和の思い出ソングが流れるテレビ、男性にフライパンで殴り掛かるシイノとそれを止めようとしてるのか後ろの続くマリコの1カットが省略されてました。

・シイノの寝ていた場所とマキオが歯磨きを渡すシークエンス

シイノは原作だとベンチに寝ていましたが、映画では小舟の中でした。また、マキオが歯を磨くのが好きで、シイノに歯ブラシなどを渡すシークエンスが増えています。これは、所謂”死”に向かおうとしているに対し、人間の生活における当たり前の行動でマキオが歯磨きを促す”生”への誘いなのかなと思われます。

・シイノのマリコへの回想(年賀状など)がダイジェストのように入るカットが省略

・シイノが岬でマリコの幻想を対話するシーンも原作では場面の切り替わりが多い印象

・岬から戻った警察署のシーン:前述の通り、女子高生との接点が増えている。

・マキオがシイノを見送る駅でのシークエンス

マキオが駅弁をシイノに持たせる、これもまた人間の生活における飲食を通してシイノへ”生きる”ことを促しているような感じですね。原作だと岬で言っている「もういない人に会うには…」のセリフはここでいう事でより印象付けられていますし、食べるのに夢中なシイノが生きることを選んだのだとより示されているような気がしますね。

・マンションに帰ったあとのシイノの回想

カバンを取り戻した経緯のモノローグはカットされ、代わりに洗濯物を干しているシイノの元にマリコから電話がかかってくるシーンと屋上での花火のシークエンスが足されていました。これはマリコの回想がめんどくさくて痛みを伴う回想が多かった中で、幼き日の花火の約束を果たした笑顔の思い出であり、シイノのマリコとの大切な日々の残したい1ページということで、再び生きていくこと、マリコを思い出の中で生かし会い続けていくことを決めたシークエンスなのだと感じました。

・会社に戻ったシイノ

原作では登場しなかった帰ってきたあとの会社でのワンシーン。これもまたシイノのモノローグにあるように日常に帰ってきたことを印象付けるシーンですね。この後に続く中華屋さんのシーンもまた冒頭と同じ場所であり、死亡事故をボーっと眺めているのも、モノローグで語っているようにシイノにとってはどうでもいいことを眺めて日常に戻ってきたことを示していますね。


とりあえず、こんな感じでがむしゃらに原作との相違点を書き出してみましたが、いかがでしたか?

「他にもこんな違いがあったよ」とか「このシーンはこういう意図で足された/消されたと思う」とかあればコメントとかで教えてもらえると勉強になります。

では、また