”ゴジラ”の中身-ミレニアムシリーズ
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はじめに
アカデミー賞視覚効果賞受賞でふたたび話題となった「ゴジラ-1.0」。
せっかくなので、これを機にシリーズ全作品を見てみようと思って、そして全部見終わってから最後に「-1.0」を見る事にしました。出来れば山崎貴過去作もいくつか予習したい。全作鑑賞は「シン・ゴジラ」公開前後あたりから、いつかやってみたいと思っていましたが、やっと触手が伸びました。ボンド映画を一作目から見始めた時も思いましたが、こういう機会でもないと、古い映画ってなかなか優先して見ようと思えないですからね。
これまたせっかくなので、シリーズを通して見て感じたものを残しておくことにしました。つまりこれは殆ど日記です。参考文献とか関連書籍とか、出来れば読みたいのですが、とりあえず日記的に、感覚で捉えたものをまずは書いています。日記です。感想です。
ゴジラシリーズはDVD・Blu-rayの購入やレンタルの他、サブスクではHuluやU-NEXTで視聴できます。一部を除き全作もしくは複数作品を鑑賞するのであれば、いつでもどこでも、繰り返し見られるHuluをオススメします。
古い映画に馴染みが無い方は、なるべく画質が良い方がとっつきやすくなると思うのでBlu-rayもいいかもしれません。私はHuluで見ていますが、画質に問題も違和感もなく鑑賞できました。古い007映画を最近見たというのも、すんなり見れた要因かもしれませんが、100年ぐらい前でなければ大抵は見やすい筈です。
▽昭和シリーズについてはコチラ
▽平成シリーズについてはコチラ
▽シンと-1.0についてはコチラ
ゴジラシリーズの流れ
シリーズは全部で30作あります。
1作目から15作目までの、昭和期に作られたいわゆる”昭和シリーズ”。リブートされ主に平成に作られた”平成シリーズ(VSシリーズ)”。主に2000年代に製作された”ミレニアムシリーズ”。そして2010年以降の近年の作品が2作。一般的にはこの四つの時代に区分されています。
この他にもアメリカ製のゴジラが二種類。一つは98年のトライスター・ピクチャーズ配給によるジュラシック・パークこと「GODZILLA」。もう一つはワーナー・ブラザース配給で、「キングコング:髑髏島の巨神」と世界観を共有する”モンスター・バース”シリーズ。こちらは最近の作品で、本国だけでなく日本でも人気のシリーズになりましたね。
あとは独自のストーリーを確立しているアニメシリーズや、デフォルメされたショートアニメなどアニメでもいくつかあります。
「-1.0」の予習なので、この記事では主に日本の実写シリーズに関して書いておきます。
ゴジラシリーズにあったもの
「GODZILLA」について
平成シリーズが終了した理由の一つとして、ハリウッドでゴジラが製作されるにあたって、”ゴジラ”の映画が同じ時期に公開されないようにする為、日本では作られなくなったという情報が、ウィキペディアにありました。しかしこの作品が次のミレニアムシリーズ製作のきっかけになるので、「GODZILLA」についても紹介した記事を別枠で書きました。ミレニアム製作のいきさつは後述しますが、トライスター版について知りたい方はコチラをお読みください。
ゴジラ ミレニアムシリーズについて①
ミレニアムシリーズは、昭和シリーズのようにそれぞれが独立した物語のシリーズです。続き物はあるんですが、ミレニアム5作目の「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS」の一つだけですし、その作品も単体で見ても充分楽しめる内容となっているので、ミレニアムシリーズは作品数や内容、映像の質感において最も触れやすいシリーズかもしれません。
全体的にシリアスなトーンの作品と、明るい冒険活劇といった雰囲気の作品が、ほぼ交互に展開されていて、連続で見ても飽きなく引き込まれるシリーズだと思います。ミレニアムの①~③作目、④+⑤作目、⑥作目、という区切りを頭の片隅に置くと、2000年代のゴジラを俯瞰して見ることが出来て良いんじゃないかと思いました。
畏怖の存在だったりヒーローだったり、怖いんだけど格好良い。”ゴジラ”は難しい構図を持った作品ですね。
加瀬亮や滝藤賢一など、意外なところで有名な役者を見られるのも楽しかったです。
ゴジラ ミレニアムシリーズについて②
ハリウッドのトライスター版「GODZILLA」公開の為、前作「〜VSデストロイア」でシリーズは終了したのですが、これが日本のファンには不満だった為、それを受けてプロデューサーがすぐに復活を企画したとのこと。こうして二度目の仕切り直しの、第三期にあたる”ミレニアムシリーズ”が開始されました。
「ゴジラ2000 ミレニアム」は1999年に製作されたミレニアムシリーズの1作目、通算23作目。
このシリーズもシネスコサイズで、半分以上がオープニング・クレジットが無いのも特徴です。作品毎に一部違う部分もありますが、ミレニアムゴジラは背びれが大きくて刺々しいのが印象的。
映画が始まってすぐにゴジラが登場して、そこからずっとゴジラを追い続ける展開になっているんですが、映画が始まった時には既に物語が動いているような構成になっていることに驚きました。
二度目の再スタートとだけあって話が早いですね。SF的としてのリアル志向がここまで強いのも初めてだと思います。インターネットに侵入する怪獣(というかエイリアン)という設定も時代の変化を感じました。2000年代に近づくと、街の景色や服装も比較的最近のもので、映像の質感も含めて馴染みがあり、更にとっつきやすくなったと思います。
ただリアル志向が強いせいでいかにもSFっぽい科学用語も増え、理解しづらい部分も増えたと感じました。あるべき会話をすっ飛ばしてるせいで、キャラの言動が矛盾しているように見えるぐらい、二幕目の終盤は駆け足気味に感じます。あと爆破予定のビルに子供を入れさすなよ!!!とは思いますよね。
それでもストーリーはシンプルで、直接的なセリフもあり、観客を置いていかない大衆性も有ると思います。
ミレニアム2作目は「ゴジラ×メガギラス G消滅作戦」。2000年、24作目です。
首都が東京から大阪へ、原発廃止で新エネルギー開発など、引き続きリアル志向の設定もありつつ、ブラックホールや異次元からの怪獣という、ファンタジー色の強いSFっぽさもあり、ちょっとウルトラマンっぽいかも?と感じる作品でした。そういうバランスも含めて、前作よりも大衆性を意識した内容になっていて、見やすいと思います。昆虫が沢山出てきますが、、、。
おはスタ、アユ、極楽とんぼ等々、トーンを明るくする要素も見所。避難時でもキレる加藤浩次が面白かったです。
実際、ゴジラが出てくるシーンは殆ど日中なので、画的にも見やすいです。最後は怪獣バトルではなく、人間がゴジラを倒そうとする展開になりますが、ゴジラシリーズとしては公開当時は珍しい展開で、昭和期の娯楽活劇のような面白さがありました。
ミレニアムシリーズ前半を締めくくるのは、2001年、25作目の「ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃」。ここまでの3作ではそれぞれ、平成期のような作風、昭和期っぽい作風、そして原点である1作目のような作風と、各作品で違う雰囲気を楽しめるのがミレニアムの面白さだと思います。
この作品からアニメのハム太郎と併映されるようになりました。
主人公がテレビ局のレポート記者なんですが、怪獣の謎を追っていくミステリー調になっています。なんならホラーっぽい。
水爆怪獣を描いた1作目へのリスペクトが高く、至る所で反戦メッセージが描かれていました。残留放射能についてハッキリ警戒しているシーンがあり、そしてゴジラから逃げる人、襲われる人、怯える人が沢山映し出されるのも特徴的です。
ちなみにモスラは出てくるけど小美人は登場しません。それらしき二人は出てくるけど、セリフも無ければ小さくも無い、普通の姉妹としてチラッと映るだけでした。
ミレニアム4作目は「ゴジラ×メカゴジラ」で、次の5作目「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS」はその続編となっており、世界観や設定を共有したものとなっています。
「×メカゴジラ」は上映時間が88分と、いつもより15分ほど短めです。今作からミレニアムデザインに戻りましたが、背びれの先端の色は紫から白に変更され、昭和・平成のゴジラっぽい雰囲気に変わりました。
1作目だけでなく、61年の「モスラ」や66年「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」等の、ゴジラ以外の東宝特撮映画も劇中の史実とされた設定。つまり、他の怪獣も現れた世界となっています。
ミレニアムのメカゴジラは本当に格好良い。空中で切り離して飛行、からの着陸のシークエンスが印象的。その後のタックルも勢いが良過ぎて笑えてくるんですよね(笑)
冒頭から三年後、とか時間軸が飛び飛びになるのは、00年代になってそういう演出が浸透しきったからでしょうかね。鑑賞者のリテラシーが底上げされたというか。
「~東京SOS」は続編ですが、主人公は釈由美子演じる茜から、金子昇演じる中條に変更され、整備士からの視点で語られるストーリーになっています。東宝特撮の怪獣が出現した世界という設定を拡大し、映画「モスラ」で現れたモスラがふたたび出現するという展開に。そこで登場したキャラや小美人も再登場するという、長年の特撮ファンは嬉しいだろうし、昔の作品を見ていなくても、子供の頃もこういうの面白かったです。
引き続きハム太郎との併映によって上映時間も短いですが、そのおかげでテンポも良く、飽きなくサクサク楽しめました。
内容とは関係ありませんが、エンドクレジットの後におまけ映像が見られる、というお楽しみは、この2作で知ったのかもしれないな、とふと思いました。
そして最後は「ゴジラ FINAL WARS」。
2004年、通算28作目にしてミレニアムシリーズのラスト、そして全てのゴジラシリーズにおいても最終作として制作された一本。2010年代に入ってから数年おきに新作は作られていますが、着ぐるみやミニチュアを使用した、本格的な特撮映画としては未だにこれが最後となっています。
特撮映画とは言いましたが、人間によるアクションシーンが半分を占めると言っても過言では無い位、アクションが多いです。
マトリックス以降の、カットも動きも早いカンフーアクションは結構良いと思います。しっかり格好良く、上手く撮っていると感じました。ジョン・ウー味がありますよね。
最後の作品なのに作風がこれまでと大きく変わり、ゴジラというよりマトリックスの様なアクション映画になってしまったことで、賛否両論となった今作。見返してみてもやはり、怪獣が勢揃いする話を成立させることを考えれば、このやり方も納得できます。子供の頃の公開当時も思ったけど、やっぱりアクションシーンは見ていて楽しい。どことなく「MOVIE大戦2010」みたいなお祭り感あって、シリーズ途中の一作と思えば、これはこれで面白いんだけどな。途中であれば、だけど、、、。
マトリックスは言わずもがなですが、「インデペンデンス・デイ」「スター・ウォーズ」の影響もありそうです。近未来の世界、00年代アクション、からの怪獣バトルという展開は、外国でウケそうですね。
ちなみに上映時間はまさかの2時間越え、125分。あとオープニング・クレジットは読みづら過ぎwww
『よく聞け若造。お前が知らない事が地球で二つある。一つはオレ。もう一つは、ゴジラ』
『やっぱりマグロを食ってるようなのはダメだな』
この映画は笑顔で明るい雰囲気で終わりますが、世界が結構酷い状態になったままで物語は終わります。
ゴジラ ミレニアムシリーズについて③
『ゴジラは、人間の作り出すエネルギーを憎んでるのか』
「ゴジラ2000 ミレニアム」劇中での、主人公のセリフです。ミレニアムシリーズはメッセージ性を、分かりやすくセリフで伝えるシーンが多々あります。それは時期を問わず今までの作品でもそうしてきたし、基本は子供向けの娯楽作品なので、そういう率直さがあるべきだと思います。それ自体が悪い事だとも思っていません。
しかしミレニアムシリーズにおいては、それが今までと少し違うニュアンスで使われているように感じました。反戦など、原点や過去作と同じようなメッセージを含んだセリフもありますが、どちらかというと”人間の業”について言及していると思います。行き過ぎた開発や実験、エゴ、執着、不理解をストーリーの材料として描いていた作品ばかりでした。
昭和シリーズは時代のおかげでハッキリと反戦や公害批判を描いていて、セリフでも映像でもストレートな印象。平成シリーズはストーリー性を高めた作劇で、物語でメッセージを伝えるような構造になっていました。その上で直接的なセリフや演出もあった。
ではミレニアムシリーズでは具体的にはどうだったか。「~ミレニアム」では他に、ゴジラが東海村の原発に向かうシーンがあり、『ゴジラが原発を破壊したら、どうなっちゃうの……?』という、今見ると緊張感が大いに増すものもありました。主人公が討伐に反対する理由は、ゴジラが生命の謎を解く鍵とする研究者目線で、守るでも倒すでも無いスタンスが珍しいです。この作品はなんてったってクライマックス。絶望感というより虚無感や哀しさを覚える演出で、なかなか勇気のいる終わり方でした。改めて見ると気になる部分が多く、肩を落としかけたのですが、ラストを見て、これなら良いかなと思いました。こういうラストシーンは意外と初めてかもしれないです。
「×メガギラス」では久々に、人間側に悪役が登場します。執着と権威に対する欲望が描かれていました。
「GMK」=「~大怪獣総攻撃」は全シリーズ中で最もメッセージ性の強い作品で、こちらは従来通り戦争を批判する演出が多分に含まれています。戦争も勿論”人間の業”だし、ミレニアムでも反戦反核は外さない、というスタンスなんだと思います。この作品がミレニアムシリーズの面白さを担保しているとも思いました。
劇中、謎の老人の話によると、ゴジラは太平洋戦争で散った兵士の霊魂、その集合体だと言う。人々がその英霊を忘れたから怪獣となり現代に現れたと、セリフでハッキリ説明されます。際立っていますね。主人公の父が、約50年前の初上陸の生き残りという設定。その時両親と生き別れ、二度と会うことは叶わなかったという戦争孤児に近い設定が、最も戦争と向き合っていると感じました。
エンド・クレジットがゴジラのテーマなんですが、これほどしっくり来るエンディングテーマは他に無いと思ったし、この作品だとより深く響いてきます。
「×メカゴジラ」では、意図的ではないにしろ人間がゴジラを生み、それを倒す為にゴジラの骨を使ってメカゴジラを作り、戦わせる。ゴジラの骨を、メカゴジラの材料とするだけではなく、人間の身勝手さも表現する設定としたのが巧妙ですよね。
ただこの作品の大人、全員間違ってるように見えるんですよね(笑)主人公は傷ついた少女が大事にしている物に対して『そんなの手放せ』と言うし、その父親は若干ハラスメント気味で、主人公も苦笑いだし。少女の方はめちゃ正しくて、主人公に対して『要らない命なんて無い』と反論するほどしっかりしているんです。『なんで生き方を決められなきゃいけないの?』というのもごもっともですし、これは近年の潮流にも通じていて良かったです。
主人公が諭した通り、少女が大事にしていたネムリソウを手放しますが、とても厳しい境遇なんだからそんな急にやらせることではないと思いました。主人公自身も辛い境遇で、それを踏まえての進言だろうけど、辛い境遇こそこれが正解という方法も無いと思いますし。でも子供だからこそ早めに一歩踏み出させるのが良い、ということなんでしょうか、、、。
ついでに書くと今作は進行が遅いと感じました。緊張感無く見守るだけの一幕目は少々怠い。「×メガギラス」も似た展開ですが、あれは脅威が水面下で進行しているサスペンスがあって、興味が続く構造になっていました。
人間の身勝手さというテーマは続編である「~東京SOS」でも描かれていました。『生命は、定められた時の中にこそ在るべし』と。
「~FINAL WARS」はアトラクション性に振り切ったせいか、批判的な面は『人間が恐ろしいことをして、ゴジラを怒らせた』等、やんわりした表現になっています。もっと直接的でも良いのにと思いつつ、代わりと言っていいかは分かりませんが、『自分がどんな存在かは、自分で決めることが出来る』というエンパワーメント性のあるセリフがあり、これも最近の映画に通じているなと思いました。支配や決めつけに対するアンチテーゼですよね。
ミレニアムシリーズでは様々な問題や抑圧を描いてきました。ですが、水爆や戦争の危険性・悲惨さを示すメッセージを”人間の業”に拡大したせいで、反戦や核についての批判性は薄れてしまってもいるように感じます。戦争や政治等に対して距離を取り、明言を避けるような時代の潮流を”ゴジラ”から感じるのは、ちょっと空しい気持ちにもなりました。
とはいえテーマが広がるのは良いし、懐が深くなったとも取れます。ですし、見やすいのは良い事なので、そのバランスも含めて、ミレニアムシリーズが更に好きなシリーズとなりました。
これから見る方には
ゴジラに限らず、全てのシリーズものに言える事かもしれませんが、ゴジラシリーズは、”あの強過ぎる1作目に対してどう応えるか”という、アイディアや思想の積み重ねだと思いました。
平成シリーズはストーリーが一貫していますが、昭和シリーズはどこから見ても楽しめる”こち亀”スタイルなので、気になった怪獣やあらすじから作品をピックアップするのも良いと思います。古い作品でも、基本は明るい作風ですし、日本の作品なのである程度は親しみやすさもありますし。勿論、平成もミレニアムもどこから見ても楽しめます。
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