エヴァ予習をして(シン・エヴァ関連①)

2021年8月28日

エヴァ予習 をしました

こんにちは、こんばんは、ミドリユカリです。

シン・エヴァ、そこまで乗り気ではなかったんですが、私が最も好きなアーティストがエヴァ、そして庵野さんについて語る音声プログラムがあるとの事で、エヴァ・庵野さんを知ることそれすなわちそのアーティストを知る事に繋がるな、と思い、予習してシン・エヴァに臨んでみようと思いました。

シン・エヴァはまだ見てないのでネタバレ有りのその番組はまだ聞いてませんが、その人はエヴァぶち当たり世代だし、信頼できる豊富な知識と高い見識のある人なのでとても楽しみにしています。その人の考えに少しでも追いつけるよう予習も最低限していたいと思ってますが、エヴァは設定とかちょっと難しい所あるので(笑)、本当にざっくりとした感覚での感想になります。。。


テレビシリーズ、旧劇、新劇3作は数年前に鑑賞済みでしたが、予習としてテレビシリーズ終盤のエピソードをいくつかと「Air/まごころを、君に」、そして新劇の「:破」「:Q」を鑑賞。

今回改めて見直すと旧シリーズ終盤のネガティブなシーンの意図がちゃんと伝わってきて、自分が以前よりも作り手の意図を考える深度が深まったのを、ちょっと実感しました。伝わったけど奥底の真意まで理解できてない気がするので、そこは解説本を読んだりして”補完”しなきゃですけどね。

公式サイト


シン・ エヴァ予習 編

「:破」

旧シリーズうろ覚えのまま鑑賞。見ていて気持ちの良い部分の多いロボットアニメで違和感を覚えつつ「なんか面白いな~」という感触。クライマックスではシンジ君がサードインパクトの危険を厭わずレイを救出=自分の願いのために行動したのも、それをミサトさんに後押しまでされたのも、ロボットアニメ的なカタルシスがあって楽しかったですね。その結果すごい事になりますが(笑)

「:Q」

「:破」でやらかした件についてみんなから非難されて落ち込むシンジ君。後押ししたミサトさんまで彼を突き放す始末。責任を感じてるからこそ傍で管理しようとするっていうのが、いわゆる”大人”の考え方、っていう描写がエヴァっぽいなと感じました。

シンジ君が名誉挽回しようと地下にある2本の槍を取りに行こうとして、そこでもまた背中を押してくれてた筈のカヲル君にまで「やっぱり止めよう」と言われてちょっと可哀そう。

周りからやいのやいの言われてもやり遂げようとするのって、庵野監督自身にも見える。周りに推されて作品を作りあげようとしてる中、あともう少しって所で「やめといた方がいい」なんて言われて、でも何と言われようと諦めずに作り切るぞ!!!!!!、っていう監督の心情もあるのかなって思いました。


「式日」

エヴァシリーズだけでなく、実写版も見ようと思い鑑賞。

アーバンギャルドのボーカルの一人、松永天馬さんの作る映画を見ていなかったら、こういう”小説的”な作品へのノリ方がわからず困っていたかもしれません。天馬さんの作品見ておいて良かった~~~。

主演の女優さんが実は原作者ということを事前に知ることができたので説得力が増しました。それを知らずに見るのとでは大分違う気がします。

精神的童貞が考える「心の壊れた少女」と「彼女に寄り添う”僕”」という構図が思春性を感じます。庵野さん、「心の壊れた少女」好きだな。。


「Air/まごころを、君に」

軽い予習のつもりで新劇を見たらやっぱり旧シリーズが気になり、テレビシリーズの後半をいくつか、そして「Air/まごころを、君に」まで見る事に。

見ておいて良かったです。

逆の順番で見返すことで、現在進行形の新劇にあった作り手の意図が見えるようになってきました。使徒の数、キャラクターが死ぬ場面、そして時間軸がまるっきり違っても、”場所”や”起きている事”が同じ。行き着く先が旧シリーズと同じなんだと、後からわかります。だからこそ今回はどこに着地するのか。どう折り合いをつけるのか。シン・エヴァへの期待も上がってきました。

旧シリーズでは「自分と他人との違いって何?」「何でこんなに心が傷ついているのか」「何で批判が怖いのか」「好きなのに嫌われていると感じるのは何で」「誰でもいいの?」とか、思春期というより二十歳前後とか就活期にありがちな自己認識やコミュニケーションについての”気づき”に至るまでを、クドイ程の自問自答を繰り返して表現されています。

小難しい用語や複雑な設定は神話のようで、海外ドラマの「LOST」を連想しました。そんな難しい設定も重要ですが、そのカーテンの奥にある作り手の意図も更にややこしい性格をしているというのも「LOST」を思い出します。

(私が思っている)庵野監督が描き切りたかった”自己認識と他者とのコミュニケーション”は、テレビシリーズでは描き切る事が出来ず、劇場版も間に合わなかったりと、一見上手くいってないように見えますが、見直してみると「Air/まごころを、君に」でちゃんとやり切れている様に見えました。庵野さんからすれば納得できなかったのかもしれないけど、そういう部分も含めてちゃんと世に出されたっていうのが、良いと思います。音楽も、アーティストが「もうちょっと出来たのではないか」と思いつつ楽曲をリリースして、それをライブで完成させていく事で納得していくなんて事があるので、それに近いな、と感じてます。

”自己認識と他者とのコミュニケーション”とかそういうテーマも音楽、っていうかロックバンドっぽくて、それがこの作品を理解するのに役立ちました。

その自己認識と共に心を立て直そうとしていく庵野監督の心情がセリフにも表れていると思います。


「ただヒトは自分自身の意志で 動かなければ何も変わらない」

「だから見失った自分は 自分の力で取り戻すのよ」「たとえ 自分の言葉を失っても」「他人の言葉に取り込まれても」

「生きていこうとさえ思えば どこだって天国になるわ」「幸せになるチャンスは どこにでもあるわ」

「だけど それも当たり前のことに 何度も気付くだけなんだ」「自分が自分でいるために」



と、いう感じで旧シリーズの意図をなんとなくわかった所で、それを踏まえると新劇場版シリーズでは何を描こうとしているのか?という疑問が浮かんできます。新劇場版ではアニメとしての気持ち良さがありエンターテイメント性も高く、作り手の意図であった”自己認識と他者とのコミュニケーション”はあまり表に出てこず、主人公が世界を巻き込んだセカイ系のような神話っぽいストーリーテリングが前面に出されていますね。そういう”物語性”を終わらせる責任と、コミュニケーションについてを問う”メッセージ性”を描く責任が、「シン・エヴァンゲリオン劇場版:Ⅱ」にはある。

どうなるのか、めっちゃ楽しみ~~~~~。

~ エヴァ予習 最後に

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