「またヴィンセントは襲われる」 ネタバレあり感想:

2024年5月17日

皆さま、こんばんは。アヤノテツヒロです。今回は映画「またヴィンセントは襲われる」です。

監督:ステファン・カスタン

キャスト:カリム・ルクルー、ヴィマーラ・ボンズ

ストーリー:ヴィンセントは職場で突然実習生から暴行を受ける。別の日には職場の経理担当からも…。一様に彼らは我を失っていたらしい。そこからヴィンセントは見知らぬ人からも暴行を受けることが多発し、どうやら「目を合わせてしまう」ことが引き金なのではと考えるが…

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「またヴィンセントは襲われる」 感想①:設定の謎が多き映画

正直に言うと、かなり謎が多すぎて???という映画だったというのが感想です。

目線が合うと襲われるという設定はまあ新しいというか、これ一本の設定で映画を作ろうという気概はスゴいと思う。

ただ、目線が合うというのもかなり曖昧な判定だし、合ってすぐなのか時間差があるのかも曖昧、明らかに合っていそうな人でも襲ったり、そうでなかったりとグレーな状況が多く、何秒間とか回数とか関係性によって変わるとかもう一歩設定が欲しいところかなと思いました。

主人公ヴィンセントの行動にもツッコミ処が多発。彼は住んでるアパートで子供にも襲われ、他の大人たちから非難を浴び(ここの子どもだけを信用してヴィンセントの話を聞かないあたりには社会風刺とかも込められてそうだが)、実家に戻り別荘のカギを借りて逃げることにする。

その間の仕事をどうしてるのかに始まり、目線が合うとダメなのでは?と気づいたのにメガネやサングラスを試さない始末。目線を合わせずにいられそうな場面でそんなに振り向くなよとか世渡りの下手さ加減とこの状況で恋に落ちるという能天気さは笑うべきなのか?というのがツッコミ処だったりする。

道中で彼は元大学教授で同じ状況にいた男に出会い、同じ状況にある人たちのコミュニティサイトで交流を深めるのだが、そのコミュニティサイトもなぜか他のSNSを削除させるのかの意味も見いだせず(いつか終わるかも知れないのに世間から完全に隔絶するのはどうなのか?)元教授の行く末も曖昧。

ヴィンセントの元カノが職場にいるとかいう設定も放置プレイ、近所の子どもの暴力性が治ってないことや反撃して人を一人殺してしまったことに関しても触れず終わるなど、どこか不完全燃焼というか処理していない問題が多すぎるままに、この暴力の現象がフランス全土まで広がっていくという、まあまあツッコミ処は多発しているのだが、なんだかんだで最後までハラハラしながら見れたのは良かったとは思う。

あと、ヴィンセントが飼うワンちゃんがお利口さんでめっちゃ可愛いです。

「 またヴィンセントは襲われる 」 感想②:ヴィンセント個人の視点であること

ただ、「目を合わせたら」というのはヴィンセントや元教授らが考えた考察であり、それはあくまでもキッカケの一つであるかもしれないというのもあり得る。つまり最終的に全国的に広まった暴力の連鎖はそれ以外のキッカケもあったかもしれない(暴行を受けて、反撃し合うのもそうだし、この条件をつければ前述の曖昧な判定にも説明が出来る)

この映画ではヴィンセントが「ウイルスか?」と原因を考えようとする場面もあるし、人々が狂暴化するという観点で見れば、見ている我々も「ゾンビウイルス」的な存在を思い浮かべてしまうであろう。しかし、何も明かされずに終わっていく。そういうのを示唆することもなく。あくまでもヴィンセントの視点でしかない(彼もラジオやテレビくらいしか情報を集めないので余計にではあるが)そうなるとこの映画における「視線を合わせると襲われる」というのは実は正しくないミスリード的なものであり、別のストーリーが出来上がる可能性すらあることが分かってくる。

そう考えるとこの映画における突然の暴力には、誰もが人を傷つけ傷つけられる可能性があるということや突如として巻き込まれる理不尽な世界でも共存していく方法を見出していくこと、この不条理な世界でも繋がりを全く断つことなど不可能なのではないだろうか?という人間社会を描いているとも考えられるので、そういった観点も持ちたいと思いました。


こんなところで今回はココまでです